22歳男 「半年でクラスワースト10位からトップ1位になった話」
只今大学4年生の者です。
私の高校受験の時の体験をお話ししたいと思います。
結果から言うと、最終的に私は県内トップ3に入る高校に合格することができました。
では私は学校で優等生であったかというと実はそうでもありませんでした。
特に、苦手科目の社会と理科は中三の前期中間テストの時点でクラスでワースト10位の点数でした。
私はとうとう危機感を抱きました。
「このままでは確実に志望校に落ちてしまう」「第二志望以下の高校に3年間も通うなんて絶対に嫌だ!」私は勉強に対する苦痛よりも、高校生活が気持ちよくスタートできないことに対する恐怖が大きくなり気持ちを一転させて勉強に励みました。
まず、苦手な社会と理科。
この二つの科目だけで100点分上げる余地がありました。
元々暗記が大嫌いな私は、逆に暗記を克服すれば点数がぐんと上がるという事実に目を背けてきましたが、もうつべこべ言っている暇などありません。
朝起きて身支度を済ませ、学校に行くまでの時間。
模試を受けに行く間の電車の中。
いわゆる「スキマ時間」を全て暗記の勉強をすることに費やしました。
また、模試で出た問題の内容は全て復習し「もう一度同じ模試をやれば確実に100点を取れる」ように勉強しました。
この二つがとても効果絶大で、模試を重ねるたびに私の成績はどんどん上がっていきました。
少し説明すると、暗記は長時間一気に詰め込むのではなく、同じ1時間でも「一日10分を6回」のように分けて一度に集中する時間を短く区切っていくことが大事です。
なので「スキマ時間に暗記をする」とちょうどよい具合に頭に内容が入ってくると思います。
そして、受験で最も重要ともいえるのが「模試の復習」です。
さきほど、私は一度出た模試は必ず次は100点を取れるようになるまで復習すると言いました。
中学3年間で挑んだ模試の全てを保管して度々復習するようにもしていました。
受験の中でこれが一番効果的な勉強方法でした。
考え方の問題なのですが、本番の入試の時に、今までやってきた模試全ての問題が解ける状態で挑めば怖いものなしなのでは?と思ったからです。
そして実際にやってみれば非常に効果てきめん。
最終的にクラスでの順位はまさかのトップ1位。
第一志望行にも合格できました。
最後にもう一度言いますが、「スキマ時間に暗記」と「一度出た模試は必ず次は100点を取れるように復習」この二つをやれば絶対に成長できます。
まずは行動することが大事です。
38歳 女性 目標を見つけたら頑張ることができました
今は専業主婦をしている女性です。
勉強というのは、結局のところ、本人のやる気の問題なのだろうと思います。
私の場合、それは30歳代半ば以降に訪れました。
私は中学受験をして国立中学に進学、その後、県内有数の進学校の高校に進学しました。
ですが、中学進学以降、勉強をする、ということに意味や価値を見出せなくなりました。
それでも、高校はそれなりの高校に進学をすることができましたが、高校入学後は学習をすることがいやでたまりませんでした。
そのため、400人いる生徒のうち、大学以外の進学の道を選択する5%の中に入ってしまいました。
専門学校に進学して、資格を取得したのですが、その後、結婚、出産をしてしばらく職業生活から離れました。
ただ、そのようななかで、私自身のアイデンティティって何だろう、と思い始めました。
再就職をしたあと、仕事のうえでの学習をすることがとても楽しいと思うようになりました。
そこで、一念発起して、大学院への進学を考えました。
そこからは、英語と論文を記載する学習に毎日取り組みました。
それまで、英語は中学1年のときに落ちこぼれて以来、大嫌い、苦手だったところ、自分の目標とするものが明確になると、もうがんばるしかありません。
恥ずかしながら、中学1年の英語から学習しなおし、なんとか、英語が入試に合格できる程度のレベルにすることができました。
ただ、このレベルになるまでには、相当たる時間とお金がかかりました。
自学自習では限界があるので、英語の塾に、いい年をして通ったわけです。
それでも、目標があると、学習をすることを頑張ることができ、中学の頃、わからなかったことが、すっと理解できるようになっていきました。
最終的に大学院に進学し、その後、その学位を活かして、大学の教員になる道を開いていきました。
この経験から思うことは、いくつになったら、勉強ができない、というのではないということ、そして、勉強はやる気の問題、モチベーションを高めるようなことがあればできること、と考えています。
それが人によって、大学受験の頃なのか、私のように社会人になってからか、それは異なるのでしょうけど、その時期がきたときに、やる気を出せばできるようになるのではないかと考えています。
66歳男 分からないことは納得出来るまで調べて独力で努力した
現在66歳の年金生活者の男性です。
息子は三人いますがみんな独立し、今は八王子の郊外に購入した一戸建ての家で、家内と二人でのんびりと暮らしています。
現役時代には、一部上場の製薬会社の研究開発部門で医薬品の開発に携わっててました。
私は小さい時から運動神経は抜群で、小学生時代は運動会では何時もリレーの選手に選ばれていました。
しかし、体育以外の成績はからっきしでした。
特に理論的に考える能力が必要な算数は全くダメな上、努力するタイプでもなかったので国語や社会も結局その成績は振るいませんでした。
これは、私が大きくなったときに母親から聞かされた話ですが、父兄参観の時に担任の先生から「お宅の息子さんは上の学校に進学させることは考えずに、水商売の道に進めた方がいいです」とまで言われていたそうです。
中学生時代は軟式テニス部に入部し勉強はそっちのけでしたし、高校時代もその延長線上でした。
そのため高校2年の時の学力試験では、学年で後ろから三番でした。
この時は流石に母親が激怒し、テニス部は暫く休部させられてしまいました。
当然、現役で大学に入れるはずもなく一年浪人をして、翌年なんとか大学には入ることが出来ました。
私は小学校から高校を卒業するまで、腰を落ち着けて勉強をするという習慣が全くありませんでした。
私は浪人した頃から、きちんと机に向かうということを経験し、勉強に時間を取るという習慣が身に付いたのだと思っています。
もっとも、浪人の時はそれしかやることがなかったので、一日中机に噛り付いていました。
一つはそういう習慣が大切だということに気が付いたのです。
もう一つは、自分が納得出来るまで、分からないことは調べて納得するということです。
私は浪人の時、予備校に通いましたが、行ったのは最初だけで、後は全て自分で調べて自分で納得して勉強を進めて行きました。
また、英語などの記憶がメインとなる学科は、何回も何回も繰り返し反復するという努力を惜しみませんでした。
それはみんな分かっていると言うのですが、これが勉強が出来ない者が出来るようになるための一番の近道だと思います。
そうすることで、私は大学を首席で卒業し、大学院に進みその後就職しました。
ただ一つ残念だったと感じていることは、勉強することに対する目的を持っていなかったことです。
何となく薬学を専攻し、何となく製薬会社に就職し、何となく人生をここまで過ごしてしまったことに何か虚しさ感じます。
自分が本当にしたかったのはこれだったのかと言う後悔の念を感じます。
今の信条をもって若い頃に戻れるのなら、きっとどんな大学でも入れるし、どんな人生でも選択出来たんじゃないかと。
小さい時からそのことを理解し、努力することの大切さに気が付けるかが、後悔しない人生を獲得するための一つの方法かもしれません。