32歳男 恥を捨てて教えを乞うことの大切さ
こんにちは。
32歳男、baaaashiiiiといいます。
大学で勉強し直したいと思い、27歳の時に入学をしました。
入試自体は難しくなく、簡単に入ることが出来たのですが、入ってからが大変でした。
単位に厳しい理系の大学で、得意でない分野も多々ありました。
1年次の前期も半分ぐらい過ぎた時点で、内容がほとんどわからず、困ってしまったのです。
しかも必修の単位で、落としたら進級出来ないという大事な大事な授業も…。
そんな時に、学生用のスペースで勉強をしている時に、同級生であろう数人の学生たちが、熱心に授業の内容について議論をしていたのです。
同学年といっても、おそらく年齢は高校を卒業したばかりであろう年下の子達。
私は、うらやましく感じました。
あんな風に、わからない所を教えあい理解する環境と光景がとても良く見えたからです。
しかし、社会人を経験してから入学した私にとっては、周りには集まって勉強しあうような同年代はいませんでした。
でも、学習内容もわからないし、どうしよう…と追い詰められていた私。
意を決して、そのグループに声をかけました。
「あのー、○○の授業の話してますか?俺、全然わからなくて…。少し質問してもいいですか?」そう言うと、グループの子達は快く教えてくれました。
それどころか、定期的に集まっているので一緒に勉強しませんか?と誘ってくれたのです。
私は神に救われた様な気分でした。
さらに、そのグループの子達ともその日の授業が全て終わった後も、居残りで勉強会をしたりと継続的に学習をしました。
ただ、一緒に学習している中で私は負い目を感じることが多くありました。
一緒に学習している子たちがよく勉強が出来て、話に付いていけない時があったからです。
そんな時私はつい、「あーそこね、わかるよ」と知った風をしたり、わからないことをそのままにしていたりなどとしてしまいました。
結果、少しばかり単位を落としてしまったのです。
私はここで改めました。
「相手が年下だろうが、聞くのが恥だろうが、わからない所はどんどん追い求めて聞こう」と。
そう決意してからは、わからない所は周囲に教えてもらい、徹底的に自分で突き詰めて学習していったのです。
そのスタイルを貫いた結果、周囲の同級生に支えられながら卒業することが出来ました。
もちろん周囲の環境などもありますし、ずっと独学で勉強しなければいけない人もいると思います。
ですが、勉強できる環境ならば是非恥を捨てて、わからない所は誰かに教えを問うてみてください。
誰しもプライドはあり、難しいことでしょう。
でも、そうすることで開けてくる未来があるからです。
46歳女 辞書に出会って苦労せずに勉強ができるようになりました
40代の主婦です。
私は、小さい頃からおっとりしていて、絵や地球儀が大好きでした。
親も勉強しなさい、と言わない家庭だったのもあり、小学校に入っても勉強に興味はありませんでした。
しかし、絵本が好きで、小さい頃から絵本は眺めていました。
それから、本が好きになり、勉強は学校でしかしない程度でしたが、本は図書館の本がなくなるのではないか、と思う程に読みました。
それから、辞書というものに興味が湧き、小学校高学年になると、辞書ばかり読むようになりました。
今でいう、ネットサーフィンのような辞書の使い方をしました。
辞書は、たくさんの新しい事を教えてくれ、知りたい事を明確とは言わないものの、きっかけを作ってくれました。
そんなあたりから、授業を聞くと聞き流す部分がなく、すっと頭に入るようになりました。
そして、それは、頭から抜ける事がなくなりました。
自分で、吸収している感じを実感するようになり、テストも一問一答では物足りなくなり、自分なりの見解を考えながら、テストも受けるようになりました。
テストの点数もほぼ満点ばかりとるようになりましたが、両親は褒めますが、褒めすぎる事もありませんでした。
勉強につながった辞書漁りは、あくまでも遊びの延長戦だと考えていたようで、自分のしたい事を常に探す事を両親は勧めました。
その距離感も良かったように思います。
慢心にはつながりませんでした。
中学生になると、公立中学校でしたが、ほぼ5番以内に入る成績になりました。
周囲の両親以外の大人は難関の高校を進めましたが、両親は自分の行きたい高校を探したらいい、という感じで、それはわが家の日常でもあったので、私は、学校を自分で調べて自分に合っていると思った学校を選びました。
当時は、英語や外国語の勉強ができると画期的な謳い文句の学校を選びました。
英語を特に得意と思った事はありませんでしたが、好きだったので決めました。
高校でも、塾に行くことはなく、勉強もせずにアトリエやアルバイトに明け暮れましたが、大学に進学できました。
私の、勉強のインプットは辞書であり、アウトプットが学校の授業やテストだったと思います。
31歳女性、自分に合う参考書と出会い英語能力が向上する
わたしはこどもの頃から勉強に苦手意識を持っていた日本の西側に住んでいる三十代の独身の女性です。
こどもの頃、勉強への苦手意識をもつ自分になやんでいました。
生きていくことは生涯勉強とも言われていますし、勉強はやはり生涯つれそう伴侶のような存在です。
かならずやらなければいけない、かならず向き合っていかなければいけない人生の大きな課題ともいえる勉強と向き合うために、わたしはまず教科書をはじめの一ページからもくもくとこなそうと思いました。
やはり教科書がすべてです。
教科書に出ることは必ずやるだろう、それさえこなしていればなんとかなるだろうと思っていました。
ですが、途中からわからない問題が出てきました。
説明を読めばできるだろうその問題は、応用で理解していきましょうと書いてありました。
その通りに解いていこうとするのですが、どうにも途中からひっかけ問題でつまずくようになります。
理解力がどうにも足りていなかったのです。
それからも、どう考えてもいじわるすぎだろう、と思ってしまうようなひっかけ問題につまずき続け、いじのわるい問題に嫌気がさして問題集を書店に探しに行きました。
するとどうでしょう、さまざまな分かりやすい問題集がたくさんありました。
いままで何を無駄なことをしていたのだろうとあたまを抱えました。
どこがつまずきやすいのか、どうすれば応用問題にもすんなりとこたえられるようになるのか、考えかたのコツ、ひっかけ問題のあとも、どこをどう考えたからひっかかってしまったのかという、説明やいろとりどりの飽きさせない簡単なイラスト、うっくつしたこころ、マンネリ化した脳を楽しませるような、勉強とはたのしませる、楽しんでやるものだという事を再び再確認させてくれるような色鮮やかなデザイン。
教科書にこだわっていた時間がまるで無駄だったかのように思えました。
問題集や参考書にもっと早くからとりかかっていれば、こんなに苦労することはなかったです。
もし勉強を楽しくやろうともうなら、複数の参考書や問題集を見て自分にあった、自分が理解できるものを見つけ出すことが大切だと思いました。